2016年




ーーー4/5−−− 洗礼


 3月26日は私の誕生日である。63歳になった。その翌日は日曜日で、たまたま今年はキリスト教の復活祭の日であった。その復活祭の礼拝で、洗礼を受けた。

 2013年の11月から、毎週日曜日の礼拝に通うようになった。この二年間、公民館長の役に就いていたため、行事で日曜が潰れることが多かったが、そういう事情が無い限り、務めて参加するようにした。

 教会の礼拝は、私にとって好ましい体験だった。礼拝を終えて家路に着くと、回りの景色が違って見えるほど心が穏かに晴れわたった。毎回礼拝に出掛けるのが楽しみになった。もっとも、そうでなければ、二年間の永きに渡って、通い続けられるものではないが。

 昨年くらいから、気持ちの高まりが少なくなってきた。生活の中で、些細な事ではあるが、心の乱れを生じさせるものが出てきた事が原因か。それを信仰の力で乗り切れないというのは、礼拝に通っているとはいえ、中途半端な立場に留まっているからだと思われた。洗礼を受けて、名実ともにキリスト教徒になる必要性を、感じるようになった。

 ところが、すぐに行動を起こせない事情があった。公民館長は、地元の神社の祭礼に参加することになっている。それが年に6回ある。キリスト教を信仰しながら、神社の行事に加わらなければならないというジレンマは、相当なものである。そのような事情を抱えたまま、洗礼を受ける事はできなかった。つまり、その役目が障害となって、洗礼を受けるタイミングが後延ばしになったのである。

 公民館長の仕事がほぼ終わった一月、牧師様に洗礼を受けたいと申し出たら、復活祭の礼拝で受けることに決まった。

 受洗のための準備会を、三回設けて下さった。信仰生活のあり方や、教会員の心得などについて、丁寧に教えて頂いた。そのおかげで、未知なる世界への戸惑いや不安は次第に薄らぎ、むしろ受洗が楽しみになった。

 洗礼当日、いつものように教会へ出掛けた。洗礼の儀式は、滞りなく行なわれた。予想したほどの緊張も興奮も無かったが、式の合間に賛美歌を歌ったとき、突然こみ上げてくるものがあった。言葉がつまり、涙が流れた。

 礼拝から戻り、午後は工房でやりかけの仕事をした。これまでと何ら変わりの無い時間を過ごした。洗礼を受けても、何も変わらないというのが、この間の印象である。ただ、キリスト教が特別なもの、異質な何かであるような気持ちは、見事に消え去った。もうこちら側に来たのだということを実感した。

 準備会の中で、牧師様はこう言われた「洗礼は信仰のゴールではありません。スタートなのです」

 私の信仰が、これから豊かに実るよう、上からのお導きをお祈りしたい。




ーーー4/12−−− 巻き戻し


 録画した番組を見ることが多くなった。生番組を見る時間より長いかも知れない。テレビの機能が向上し、録画の操作が簡単になったことが大きな要因だろう。ドラマ、映画、コンサート、旅もの、山ものなど、ジャンルは様々。リアルタイムで見れる番組でも、一旦録画して見たりもする。コマーシャルなど、余計な部分を飛ばすことができるからである。

 巻き戻し(テープではないから、巻き戻しと言うのももはや変だが)機能を、しょっちゅう使う。ナレーションや台詞を聞き逃すことが多いからである。加齢のせいで、耳が遠くなってきたため、二度三度巻き戻さないと聞き取れないこともある。何と言っているのか、ついに分からず諦める事すらある。とても便利な巻き戻し機能だが、依存してしまう傾向が怖ろしい。いくらでも再生がやり直せるから、真剣に見ていない自分に気が付く。

 真剣でないと言えば、ビデオにはもっと進んだ機能もある。二倍速再生である。音声は聞き取れ、字幕も何とか見れられつつ、二倍のスピードで再生できる機能。これを使えば、1時間のドラマを30分で見終えられる。筋だけ追えれば良いという場合には便利である。なにしろ半分の時間で済むのだから、効率的だと言える。しかし、そんな事までして見る意味があるのかという疑問は残る。ともかく、ドラマの観賞方法として、真剣さに欠けることは間違いない。

 さて、巻き戻しに話を戻そう。再生のやり直しを前提にして録画を見るのは、集中力を欠いた行為になりがちだ。見ていて、聞き逃したら巻き戻す。あるいは、これはというシーンがあれば、もう一度見る。そう割り切れば、全体的に漫然と流して見れば良いのである。そういう見方が悪いとは思わない。テレビなんてお気楽に見れば良いものだという考え方もあるだろう。しかし、そういう習慣が身に付くと、困ることがある。やり直しが利かない状況、例えば映画館で映画を観る場合などに、集中力が欠けていると、見落とし、聞き落としが生じてしまうのである。それによって、肝心のストーリーが分からなくなったりする。

 ところで、テレビを見ていて、巻き戻しのボタンを押しても、画面が戻らない場合がある。生番組を見ているときである。当然のことだが、それに気付かずにボタンを押してしまうのである。「あら、巻き戻せないと思ったら、生放送だったわ」。「それができたら、時間を戻すということ、すなわち宇宙規模の大事件だ」などという、たあいの無い冗談が、時折テレビの前で交わされる。




ーーー4/19−−− 変な奴


 
小学校の頃、特別に変な奴がいた。別のクラスの男子だが、私を見ると、理由も無く突っかかってくるのである。出くわすと、必ずひと言二言嫌なことを言う。未だに覚えているのは「おおたけおさむだって、変な名前!」という台詞である。これは繰り返し何度も聞いた。また、遠足で高尾山に登ったときのこと。私のクラスが山頂に着いたとき、その子のクラスは既に居た。私を見ると、「遅いお着きで」といやみを言った。クラスの順で登っているから、遅いのは当たり前である。こういう物言いをするとき、その子は必ず憎々しげな、時代劇に出てくる悪党のような顔を作った。

 学生の時、ある先輩から言われたことがある。それは、「世の中に変な奴はいくらでも居るんだ。いちいち気にしててどうする」だった。確かにその通りだと思うが、実際に変な人に出会うと、不可解さは押えられない。

 ずいぶん前の事であるが、知り合いの木工家のお宅へ遊びに行った。大勢の人が居て、パーティーのような雰囲気だった。その中の一人の女性が、突然居なくなった。これから何々をしようと言っていた矢先に、何の断りも無く消えたのである。居合わせた全員で周囲を探した。人里離れた場所で、森に囲まれ、川も流れている。ちょっとした騒ぎになった。警察へ連絡した方が良いか、などという言葉も出た。1時間ほどしたら、別の場所へ行ったようだ、という情報が入った。一同安堵したわけだが、「何故ひと言も言わずに立ち去ったのだろう?皆が心配するのは目に見えているのに」という疑問が、人々の口から漏れた。

 すると、私の隣にいた中年の男性が、「いろんな人が居ますから」と、ポツリと言った。私が「それはそうでしょうけど、これはあまりにも非常識じゃないですか」と返すと、その人は再び、「いや、いろんな人が居るんですよ、世の中には」と言った。その顔が、ひどく暗く沈んだ様子だったので、私は気圧された。




ーーー4/26−−− 方言


 26年前、この地へ越してきたころの事。息子は小学校に入る前くらいの年齢だったが、近所の子どもと遊んでいて、「うん、いいよ」と言ったら、「いいだ、って言うだ」と、突っ込まれた。方言の指導を受けたのである。郷に入っては郷に従えという教えは、子どもの世界でも同じであった。

 私が勤めていた会社は、全国から社員を集めていた。従って、いろいろな方言が聞かれた。面白いことに、きっぱりと標準語に切り替える人と、方言を変えようとしない人に分かれた。なかでも、関西と九州の出身者には、あくまでも故郷の言葉にこだわり続ける人が多かったように思う。これらの地域の出身者には、方言に対する愛着やプライドのようなものが感じられた。それに対して、東北地方などの出身者が、方言を使い続けるというケースはほとんど無かったと記憶している。
 
 海外に出ると、現地の言葉に馴染もうとする人と、そういう事に無関心な人に分かれる。私は、どちらかと言うと、後者の方だった。インドネシアの建設工事現場に10ヶ月ほど滞在したが、ほとんどインドネシア語を覚えなかった。同僚の中には、現地語だけで会話ができるほど上達した人もいた。2年間ほどの長期の予定で派遣されている社員の中には、それなりの心構えで望んでいる人がいる。それでも、別の言語に対する関心と、それをマスターしたいという意欲には、かなり個人差があると感じたものだった。

 そんな私だったが、意外と言語感覚がフレキシブルであると、最近は思う。

 私は、両親はもとより、その前の世代から東京暮らしだったので、標準語しか知らずに育った。東京弁と標準語は、厳密に言えば多少の違いもあるとは思うが、まあ標準語と言って間違いは無いだろう。そんな自分が、信州へ移住して、初めて方言に晒された。初めの数年間は、方言を口にする事が無かったが、次第に語尾に方言を使うようになった。

 冒頭の方言指導ではないが、「いいですよ」を「いいだ」と言う。「そうでしょう?」を「そうずら?」、「○○だからね」を「○○だでね」、「やりましょう」を「やりまっしょ」などと言うようになった。初めは家の中で、家族を相手に喋るだけだったが、今では地域の人を相手に平気で言えるようになった。会話の中の単語は、さすがに抵抗があってなかなか使えなかったが、最近はそれも使うようになった。

 先日、地域の飲み会の準備をしている時、ある人が丁寧に食材を切っているのを見て、「ずいぶんまていにやってるね」と言った。すると一瞬シーンとなり、直後に一同が「そうずら、まていずら」とか、「まていだでね」などと言いながら、大笑いをした。そして、「大竹さんもすっかり土地の言葉を使うようになったせ」と言った。「まてい」がこれほど受けるとは思わなかった。

 標準語育ちの私には、生半可な方言を喋る事は、かえってその地の人に対して失礼では無いかと、気に病むところがあった。しかし、実際はその逆で、私が方言を口にすると、周りの人が喜んでくれる事が多い。少なくとも、怒る人はいない。

 ところで、この地の人たちと話をすると、いくつかの方言を、標準語だと思い込んでいたなどという事態に出くわすことがある。そういう時は、多少慎重に対応したほうが良いようである。








→Topへもどる